私の知人

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私の知人に、横浜に住む女性がいる。年齢も私とほぼ同年代であるが、彼女も私と同様、病期ではないが後遺症による激痛に悩む一人だ。先日、その激痛の状態を聞いたが、私の激痛の程度をはるかに超えるものかもしれない。

母一人子一人で暮らしているが、お母様は84歳になるようだが、激痛に襲われた様子を見て「一緒に死のうか」と言ってくれるそうだ。激痛に襲われると何が何だか分からなくなるそうで、家の中が、まるで空き巣に荒らされたようにな状態になるそうだ。

この手の激痛は、なった人じゃないと理解出来ないと思うが、相当耐え難いものである事は確かで、私は身をもって体験しているので、その壮絶さは十分に理解出来る。ちなみに私の激痛を言葉で表現するならば、「コンクリートブロックを割って、そのザラザラした側面で、上から顔に押し付けられ、上下左右にガリガリと顔面を削られているような痛さ」だ。だから、私は今でもそんな時は、洗面所の鏡の前に立ってしまう。なぜなら、顔面から血や汁が出ていないか確認するためである。

彼女の激痛時の壮絶さを聞くと、涙が出るほどで、何とかしてあげたい、何とかならないのかと怒りに似たものが込み上げてくるが、私にはどうしてやることも出来ない。そのもどかしさからか物凄いストレスに襲われてしまう。多分、自分も同じ状態だから、自分とオーバーラップしてしまうのかも知れない。

私も外見上はなんら問題も無いように見えるらしいが、私の激痛は、状況によって痛みの強弱は多少あるが、常時襲ってくるもので、逆に言うとある程度痛みに慣れることもあるが、彼女の場合には、週に一度程度襲ってくるらしく、それもまた、私から考えると激痛を強烈に感じるスチュエーションだと思う。

現在の医学では、解決できないのだろうか?

私が考えるに、痛みの度合いは、本人が感じる痛さの基準になり、私の場合は目で見える症状がなく、実際に痛さの原因になっているのが、脳の誤認であり、感じ症状でも個人差が大きく、数値的にも認識できないために、なかなか治療法が見つからないのだと思う。

しかし、この激痛が自分の生活からなくなってしまったら、どんなに幸せなことだろうと思う。

以前にも申し上げたが、複視、左半身のしびれや、右半身の温痛覚麻痺、左声帯麻痺などは、取るに足りない後遺症である。

 

 

 

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