北海道に移り住んだら

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筆を執るのはもう何か月ぶりだろう。そもそも筆を取れなかったのにはいくつか理由がある。何となく執らなかったというのも理由ではあるが、主な理由は、顔面の激痛と北海道への引越である。

自分の生活環境のせいなのか、単にくも膜下の後遺症が猛威を振るっているのか、自分では判断が出来ないまま、激痛のなすがままというのが状況であった。その結果、北海道に引っ越す前は、本当に顔面の激痛に悩まされ、おおよそ1日の半分はベッドに伏せていた状態であった。何よりつらいのは、ビジネスパートナーに多大の迷惑と負担をかけていることだ。気にすれば、その分だけストレスに代わって行く。

北海道に転居する前は、品川の31階建ての高層マンションの22階に住んでいた。マンションの真下は品川駅の端っこなので新幹線がひっきりなしに往来し、他の多くの電車も行きかう場所だ。線路沿いの道は、箱根マラソンルートでもある国道15号線である。3歳の孫が時々遊びに来るが、電車が大好きなので、窓からの光景だけで大興奮だ。まるで巨大なプラレールの様だったろう。

マンションの隣のビルは、キャノン、三菱重工、マイクロソフトなどのビルが品川駅まで続いている。まさに、企業戦士の戦場には十分な立地だ。

昼夜問わず眠らず、電車や車の行きかう時間でも、何らかの大音量が24時間響き渡っている。正直安眠など100%出来ない。一見緑も多いし、素晴らしい環境のように思えるが、とても身障者が住む環境ではない。

1日の大半を仕事に時間を使い、余暇を楽しむという感覚さえ忘れ去ってしまって、ほぼ24時間臨戦態勢という感じだった。つまり1年365日、1日24時間、神経が休まる日は殆どない。くも膜下で退院した6年半前の半年間を除いては、ずっとこんな状況で、何らかの仕事をしていたのである。

その報いかなにか分からないが、とにかく顔面の激痛にいよいよ我慢が出来なくなってきた。あらゆる東洋医学と西洋医学をもってしても、この激痛を押さえることすら出来ないのだ。「どうしたらいいんだろう?」「命を絶った方が楽なんじゃないのか?」などなど長い間に様々な思いをめぐらされたが、やっと一念発起して、生まれ故郷の北海道に移り住むことにしたのだ。

今となっては、古民家レベルの家だが、住むには十分だし、5人兄姉のうち信頼のおける唯一の兄貴も私の自宅と同じ敷地内に住んでいる。戦線離脱して、この生まれ故郷に住んで、私が一番大好きな自然と向き合うことしか、この激痛を押さえる方法が見つからなかったのだ。この根拠のあるようでないような決断をしたが、結果は思いもよらない方向に動いたのだ。

 

なるべくストレスフリーの環境をつくり、自分自身を母なる大地の自然に委ね、水が流れるがごとく、何にも抵抗しないで暮らす。朝は、朝日のまぶしさで目を覚まし、夜はなるべく早く就寝する。そんな規則正しい生活を送ったが、5カ月を過ぎた現在も、北海道では、激痛で仕事が出来ないということは、一度もない。

仕事の関係で、月の半分は東京で過ごすが、精神的な影響が大きいか、東京に来ると顔面の痛さが増してくる。先日も珍しく風邪をひいてしまい、恐らく関節が痛かったと思うが、私は右半身が温痛覚麻痺のため、ほぼほぼ全身熱や痛みを感じない。その痛みが、左のこめかみから顔面に掛けて、全身の痛みが集中する。その間丸2日間、激痛を超える激痛に見舞われ、傍に銃があったら間違いなく自分の頭を打ちぬいた思う。

どんなに病院に通っても、有名な痛み外来に行っても、針、リンパドレナージュ、マッサージを駆使しても、薬を飲んでも何をしても何一つ改善できなかったこの激痛が、大自然に抱かれ、身を任せただけなのにこんなにも幸せな気持ちになれた。

毎朝、遅くても7時には起床し、2時間程度ブラブラと朝日を浴びながら山や海、そして川などを散歩している。そこは、子供の頃に遊んだ場所ばかりだが、大人になって改めて歩いてみると、大発見の毎日だ。時折、セレンディピティにも出会える。そんな時には、1人で感動し、写メをとり大満足に浸っている。

そんなとき、顔面の痛みはみじんも感じない。

 

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