連載記事2016年8-2 ウエディングの大切なこと

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連載記事20168-2  ウエディングの大切なこと

(結婚式の意味とは、披露宴の意味とは、ウエディングの本質に迫る)

通過儀礼としての結婚式

結婚式・披露宴の具体的な意味に話を戻すが、結婚式も披露宴もそれぞれ重要な意味を持っている。結婚式は、もともと儀式であり、人生においても最大の「通過儀礼」といわれ、その人の人生の節目となる最大の行事である。今年は、選挙権も18歳以上となり、大人の定義も様々な形で確立されているようだ。昔は、「元服」という成人の儀式を行ったが、そこには子供から大人へと変化する非常に大きな意味がある通過儀礼であった。

通過儀礼を経験することにより受ける影響は年代によって異なるが、成人式以降は社会人としての「認識」と「責任」を身に着け深めるという目的がある。結婚によって、社会の最小単位である「家」という社会を形成し、男性はその組織を大きくしながら納め守って行かなければならない。その「一国一城の主」となるには、やはり色々な社会の常識を身に着ける必要があり、それを学ぶことも結婚式という「通過儀礼」の役割であった。非日常であるがゆえに、しきたりに満ちた結婚式から得る大人の常識は非常に重要で価値のあるものが多い。

事例として一つ具体的に言うと、例えば引出物を用意する際に、熨斗紙をかけることが一般的とされて来た。その熨斗紙に印刷されている水引の結び方が、結婚式の場合は一度結ばれた縁がほどけないようにという思いや縁起担ぎから「結びきり」という水引の結び方が使われる。実は、この結び方は、「一度結ぶとほどけない」ということから、一生に一度しかないという意味で、葬儀・告別式の不祝儀の際の熨斗も「結びきり」の熨斗紙や熨斗袋を使用するのである。

実は、こうした常識的なことを結婚式という催事を通して学んでいくのが本来の通過儀礼が担う意味である。従って、こうした常識的知識を新郎新婦様に伝えるのもウエディングプランナーの役割であったが、少なくとも現在の結婚式場におけるウエディングプランナーと新郎新婦の年齢だけ比較してみると、この定義が成り立つかどうかは非常に疑問に感じてしまう現実もある。

人脈財産の継承としての披露宴

一方披露宴の目的だが、皆さんが認識しているかどうか別として、現代の披露宴にも脈々と生きている。披露宴の中で唯一本物であり感動し涙する場面は新婦から両親への手紙の朗読であるが、その後に両家代表謝辞がある。まさにこの謝辞が披露宴のハイライトであり披露宴を行う主旨なのだ。特に自営業の社長の長男、政治家、社会的地位の高い方などの披露宴は、規模も大きく親の関係者の参列も多く媒酌人の依頼率も高い。つまりこれは親の人脈を子に引き継ぐ「人脈財産の継承」という意味が色濃く反映されている証である。

若い二人が人生の大きな荒波に打ちひしがれたとき、どうか若輩者の息子・娘を助けてほしい、人生のサポーターとして見守ってほしという親の想いがあった。現代でも、両家代表謝辞を聞いていると、息子・娘の将来を案じ「どうか困難に出会った時は助けてあげてください」という父親の想いが伺える。時代やしきたり習慣がどんどん変化する時代にあっても、親の子供に対する想いは変わらないのだ。

まさに披露宴は、親から子への人脈財産の継承の場であり、人が人として伝承しなければならない文化だと思う。

文化の本質とその重要性

今やWEB中心の社会が広がり、個人が個として成立しているように見えるが、実態は個の確立ではなく集団意識の崩壊であり、社会の中で孤立する人が増え、知らず知らず孤独へと誘われているように思う。

孤独が良いか悪いかということは、人それぞれの考え方はあると思うが、戦後日本が培ってきた終身雇用の社会感からすると、孤独が不安を招くのは間違いないし、社会という集団の中にいる方が安心できると思う。また日本人は帰属意識が強く、飲食店などで行列が出来るのも、日本人の帰属意識からだと評論する人もいる。私も自営業だが、もし自分に仲間がいなければ孤独にさいなまれ、生活自体もままならないかも知れない。しかし、仲間という一つの集団に自分が属しているという意識こそが、安心して仕事が続けられる源なのである。

歴史と経験の積み重ねで確立された文化というものが存在するのであれば、それを守り続けることが安心を確保することだし、ビジネス的に見ても無理なく無駄なく売り上げを上げられる方法の一つかも知れない。そう考えることが出来るのは長い年月の間に育まれた本質だからである。

本質は、水の流れそのもので、「水は、高いところから低いところにしか流れない」わけで、今の技術をもってすれば、逆流されることは容易なことだ。しかし、それは非高率な世界であり、一件先進的であったり革新的に見えるかも知れないが実は非常に不自然である。それがビジネスとなると非効率的だし、その負担が全て末端消費者にしわ寄せとして襲ってくることは間違いない。ゆえに長年の歴史と経験の上に成り立つ文化や伝統は踏襲に値し、かつ偉大であり、摂理でありもっとも自然なことだと思う。だからこそ、我々は文化と伝統を守らなければならないのだ。

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