月命日

私の母が亡くなってから、早いもので3ヶ月以上経った。

神様は、人の悲しみを軽減するために「忘却」という機能を人間に備えたのだと思う。母の月命日は毎月14日だ。でもいつも気が付くと過ぎてしまっている。申し訳ないという気持ちの一方で、母が生前によく話してくれた「祖母の言葉」を思い出す。私も直接祖母から聞いたことがあるが、「死んだらなんにも分からない、分かるのは生きているときだけ、でもワシ(祖母)が死んだら、時々思い出してくれ、それだけで十分だ。」という言葉だった。この言葉をいいことに、勘弁してもらっている。

私は、信仰などの行為には殆ど興味はないが、見えない物、科学で証明できないものは信じないということもない。超常現象と言われるものの存在は、十分に体験している信頼できる人をたくさん知っているし、私の祖母はその最たる人だ。

その類の話は、腐るほどたくさんある。

こんなことを書くと、この人頭おかしいのではと思う方もたくさんいらっしゃると思うが、私は、自分自身の体験は少ないのだが、周囲の信頼できる人の体験談やそれを検証したりした結果、否定する方がおかしいと思うようになった。

私が小学校低学年の頃だったと思う。祖母と二人で近くの神社によく散歩に行った。祖母に、朝の参道を歩くときは必ず端を歩けと言われた。子供ながらに「どうして?」と聞くと、祖母は、「早朝の参道は、ここにお祀りしている竜神様の通り道だから妨げてはならない」ということだった。「そうなんだ」と、それが本当のことか、迷信かなど、何も考えることなくそのまま受け止めた。

私たちは、祖母を「おばば」とよんでいた。昔の北海道では、普通の呼称だった。おばばと手をつなぎ神社に向かう時、その神社は小高い山の頂上に建っており、そこに行くのに、幾通りかの経路があったが、一番近道を選択すると、そこは細くて険しい道だった。その道の途中に、民家が一件あり、その家では大きな犬を飼っていた。いわゆる番犬にふさわしい風貌で攻撃的な大型犬であった。なぜかその日は、その家の軒を通って行く道を選択したのだが、細い公道に犬小屋がはみ出し、小屋に鎖をつないでいるので、その攻撃的な犬は、私とおばばが通ろうとすると、噛み付かんばかりに、公道にはだかり凄い勢いで吠えかかってくる。私はビビッてしまいおばばの後ろに隠れたら、おばばが、「進、ちょっと待ってろ。この犬を犬小屋に入れるから」といい、何やら呪文のようなものを唱えると、あれだけ凄い勢いで吠えていた犬が、くるっと後ろの犬小屋に入って行ったのだ。

子供ながらに凄いと思った。おばばは何者かとも思った。私は、その日から今でも、早朝の神社の参道は必ず端を歩くようにしている。

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