内閣府認可財団法人認定ウエディングプランナー資格検定が出来るまでの30年<12>いよいよ宿泊部門 PartⅡ

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検定が出来るまでの30Vol.12 いよいよ宿泊部門 Part

宿泊部門は、私にとって目新しいことが多く、思ったよりも楽しかった。しかし、大きな障壁があった。それは、英語である。前回も記したように「Key please」というこんなに簡単な言葉すら聞き取れなかったのである。理解できないのではなく、耳が英語を忘れており、理解の領域に入ってこないのである。サービスマンとしてお客様と対面して、お客様の意図をくみ取れないことほど情けないことはないのである。言葉が理解できないということは、お客様にとっては、非常に大きなストレスだと思う。これは、私の持論だが、サービス業において、お客様に絶対に与えてはならないものの一つに、ストレスがあると思っている。お客様が非日常的なご利用に高額な金額を払ってきてくださるのは、まぎれもなくお客様のリラクゼーションが目的だからである。それを、少しでもストレスを与えてしまっては、お客様にとって、どうして高い金額を払ってストレスを感じなくてはならないのかと、憤慨したとしても当たり前のことだと思う。

私は、就活で複数の業種のジャンルの会社に内定したが、結局はサービス業を目指した。サービス業とは何ぞやということは、自分の中では、新入社員の時に思っていたことと今も変わりない。その根源にあるのは、私の大学の卒論だ。

私は、ホテルに就職が内定してから、英語を学ぶために、アメリカロスアンゼルスにホームステイをした。ここでは、色々なことを学んだが、一番驚いたのは、当時のアメリカ人のホスピタリティだ。日本のホスピタリティも当時は世界的に知られていたが、私の個人的な感覚では、恐らく日本のホスピタリティをはるかに超えるものであった。1か月間という短い期間であったが、5人家族のホストファミリーとは、本当の家族のような期間を過ごすことができた。最初は、一緒にテレビを見ていても、笑うタイミングで笑うこともできなかったが、最後のほうでは一緒に大笑いすることもできた。帰国する前日にはさよならパーティーも企画してくれて、日本から一緒に行った仲間たちとそのホストファミリー、それと近所の人たちや通っていた学校の先生や仲間たちを含め、100名以上のパーティーとなったが、私は、3時間以上に及ぶそのパーティーで、学校の先生の推薦(ほぼ命令)で司会を務めた。

アメリカでは、とても悪い子で、学校の先生は、20代の若い先生だったが、隠語などを分からないふりをして質問したりしたので、時折先生が顔を赤らめることもあった。そしてついたあだ名が「Hanky-panky SUSUMU」であった。SUSUMUは私の名前。Hanky-pankyは、隠語でその意味は想像にお任せする。アメリカでは、一般的な隠語なので、理解される方も多いと思う。

もともと英語は好きだったので、2週間くらいで、コミュニケーションで困ることはほとんどなかった。

しかし、実際のホテルの業務に入ると、ブランクはあったとはいえ、「Key please」という容易な言葉すら聞き取れないことに大きなショックを感じた。しかし、まもなく耳も慣れ、言葉の障壁はあまり感じなくなった。

ベルボーイの本当に忙しいのは、深夜とチェックイン、チェックアウトの時だけで、あとの時間帯は比較的暇な時間帯が多い。私は、何とかお客様に喜んでいただきたく、ビジネス目的の宿泊のお客様は、さほどサポートしなくても大丈夫だが、海外からの観光目的のお客様には、楽しく過ごしていただくためには、色々なサポートが必要だ。

男性の海外からのグループは、当時は必ずと言っていいほど、「Bad placeを教えろ」という質問が多かった。それもロビーの隅まで引っ張られて小声で質問されることが多かった。私は、色々詳しく具体的に情報を集めたノートを見ながら「Bad place」を教えると、にこにこして外出していく。帰ってきたときは、殆どのお客様が、ニアニア、ニコニコで私にお礼を言ってくる。中には、チップをくれる人もいる。正直、仕事的には、私自身本意とは言えない仕事であったが、どうしたら仕事が楽しく出来るか、会社の規則を犯しつつも、常に考え実行していた。

やがて、ベルボーイの期限も満了となり、今度はフロントだ。最初は、フロントクラークの仕事、それがある程度できると、フロントキャッシャーの仕事で、この仕事がある程度マスターできると、フロントリザベーションの仕事になり、最後はフロントクラークに戻った。

フロントキャッシャーでは、今から30年以上も前のことなので、今と比べるとおもちゃみたいな会計機を使っていた。町のレストランのレジスターレベルだ。なので、一日の売上の集計は、漏れがないかどうか、検算を行う。その時に電卓を使って、予約台帳からタイプライターで打ち込んだ、小さな本のフセンの半分くらいのストックホームという紙片に記入されている宿泊料金を、電卓を使いブラインドタッチで集計するのだ。今から考えると、なんと原始的な作業だろう。

この作業は、電卓で高速にキーをブラインドタッチで正確にできないと仕事にならない。今、私は5年前のくも膜下出血の後遺症で、軽度の身体障碍者だが、現状ではとうてい無理なスピード感だ。

また、仕事を楽しくしようという、社員全体の意向もあって、業務中にお客様を題材にした、ゲームをよく行った。その中の一つが、「ナショナリティ当てクイズ」だ。フロントデスクから正面玄関をまっすぐ望めるので、外国人がチェックインのためにドアを開けた瞬間にそのお客様の国籍を当てるゲームだ。難しい顔をして入ってくる西洋人はイギリス人、わりとにこやかに入ってきたら、アメリカ・ヨーロッパ系、満面の笑顔で入ってきたらオーストラリア人と相場は決まっていた。ヨーロッパは顔の濃さなどで推測する。

そんな経験をしながら、レストラン部門や宴会部門との連携作業を学べた実利ある期間が過ぎた。

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