連載原稿77 子孫繁栄という自然の摂理であるブライダル文化

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日本は、世界一の老齢化国であると同時に、出生率の低い国でもある。第一次ベビーブームだった1947年から10年間で約2,100万人以上の子供が生れ、その20年後の第二次ベビーブームの1967年から10年間でも1950万人が生れているが、直近の2004年から10年間は1,070万人と当時の約半分である。

 

婚姻数をみると、昨年は約66万組で、ピークだった40年前の1972年の約110万組から44万組も減少している。

一方で、離婚数は、1996年に20万組を超え、2002年の約29万組でピークを迎え、2013年は約23万組と数は減少したが、その実態は、減少傾向とは言えず、仮面夫婦とかいう言葉をよく耳にするように、事実婚ならぬ「事実離婚」は随分広がっていると思う。

では、なぜ正式離婚には至らない家庭内別居のような状態になるのだろうか。その理由は、単純かつ簡単で、1つは「子ども」、2つ目は「経済力」である。

1つ目については、夫婦の関係がどうあろうと、子供のためには両親がそろっていたほうがいいと考える人は多いし、最近では、どうしても子供と離れたくないという理由で離婚を拒否する夫も増えているという。

 

2つ目の経済力だが、妻が離婚を希望していても、自分に離婚後の経済力がないことで、結果、家庭に留まっている例は多いようだ。また、最近では、夫のほうも昇給が見込めず、経済力が低下した結果、慰謝料や養育費の支払いが期待できないケースも増えているらしい。

 

我々の若いころは、共働きは、ダブルインカムといわれ、裕福で、羨ましく思われるような状況だったが、現在は、自宅のローン等を抱えてしまうと共働きで初めて家計が成り立つというような現実もあり、離婚することもできず、経済的に殺伐とした状況の中で、家庭内別居ということに行きついてしまう夫婦も多いのだろう。

 

このような状況を日常的に目の当たりにした子供たちは、こんなふうになりたくないと思うばかりか、「結婚」そのものに対する夢や希望を喪失してしまうというサイクルを形成してしまっている可能性は大である。

 

そもそも、結婚の生物的目的は、明らかに子孫をつくることであり、結婚式という儀式においても、古くはギリシャ時代から、多産を願う儀式が執り行われている。例えば、かつては、ケーキ(当時はクッキーのようなもの)を細かく砕いて新婦の頭からふりかけるという慣習があったようだが、ケーキは、小麦で作られており、麦は1粒から穂が垂れる程実ることから、その生命力が新婦に移って子どもに恵まれることを願ったのである。ライスシャワーも同様で、古代から、結婚式は、子孫繁栄を祈願して行われていたのだと言っても過言ではないであろう。カトリックで、「結婚は、神が人間に与えた義務である」と定義し、離婚や堕胎を認めないという考え方も、自然の摂理であり、人としての必然性であるように思える。

 

また、トルコの結婚式では、数百人から多い時は、1000人以上の人が集まり新郎新婦を祝福するそうだが、大体最低4,000円位の現金から10万円相当の金のブレスレットまで、その人の経済力に合わせたお祝いを持ってくるので、新郎新婦が仮に一文無しでも結婚式が出来、そのお祝金で新生活をスタートさせるのだという。

 

このように考えてくると、本来、結婚式は、子孫が繁栄していくことを、社会全体で望ましくめでたいことだと祝い、祈り、守ることであり、婚礼文化とは、まさに、自然の摂理を維持すべく形成された文化である。

 

日本の現状のブライダルは、装置産業と化したことによって物売りの面が強くなりすぎているが、結婚式に本来こめられていたものを取り戻し、伝えていかなければ、このままでは、「結婚はする価値の無いもの」になってしまいかねない。

 

 

 

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