ウエディングの歴史で、バブル崩壊は、完全にブライダル業界のビフォーアフターを作る境目となった。
1997年第一号店といわれるゲストハウスというジャンルの会場形態が確立し、それまでもそうであったが、日本のウエディングは、装置産業として成立していたが、ゲストハウスの存在がさらに深度化し、1993年創刊の「ゼクシィ」という雑誌の創刊も相まって、顧客満足より企業利益が優先するようになってしまった。一方では、利益追求型企業としてのウエディングビジネスが成長し、それがさらに巨大化することで、上場する企業が増えた。
サービス業での上場が何を意味するか、その答えを理解すれば、サービス業と上場がいかにミスマッチかがわかるだろう。しかし、婚姻数の減少とバブル崩壊後の経済低迷によるデフレ経済の影響で、予期せぬ「無婚」というスタイルが婚姻数の40%以上を占めるという現実と婚礼施設が増えたことにより、婚礼特化型会場は、婚礼受注に躍起になる。その結果、顧客獲得のため、消費者契約法に抵触するような新規客獲得のオペレーションが行われている。
さらに、日本は、世界でも類を見ないパラダイムシフトに入り、世界が注目するなか、団塊世代が労働市場を去り、労働人口の激減の状態を迎え、いわゆる「人がいない」という状態が急激に進行し、「客もいないがスタッフもいない」状態に陥り、ウエディング会場で働くスタッフは、低給与で激務という現状に耐えがたく、みんな業界を3年未満で去り、建物だけが残ってしまった。ウエディングというものの本質を考えれば、現在業界で行われていることが、いかに本質から外れているか理解できよう。
そんな中、2011年の東日本大震災の影響とスマホの普及拡大代がB to Cビジネスの機会を急激に拡大し、これをきっかけにフリーランスウエディングプランナーの活躍できる市場が拡大し、私は、2011年をフリーランス元年と呼んでいる。フリーランスウエディングプランナーは、私どもの協会では、北海道から沖縄まで現在約100名が活躍しているが、現在に至るまでには、決して平坦な道ではなかった。2006年のIWPA JAPANの設立から、2011年のフリーランス元年まで、正直、フリーランスにとっては「いばらの道」であった。
フリーランスウエディングプランナーは、そのいばらの道をなぜ選んだのか?当然一つや二つの理由ではない。そこには、前向き、後ろ向き両方の理由があった。前向きの理由は顧客満足、後ろ向きは激務からの逃避、だった。なぜ、会場に所属すると顧客満足が満たされないか?(企業利益を優先するあまり、顧客の希望をかなえられない)なぜ、激務から逃避せざるを得ないか?(いわゆるブラック企業で、夫の給料だけでは生活できず、労働に対する正当な給与が支払われない。)その理由が問題なのだ。
ところが、フリーランスウエディングプランナーになると、ちょっと大型の婚礼を1件担当するだけで、安月給のプランナーの3~4か月分の収入になることも珍しくない。私も、いわゆるウエディングプランナーとして15年以上ホテル業界で勤務した経験があり、自分の仕事が社会で高い位置で認められたいという希望が強いが、誰しも同じ気持ちだと思う。
2006年のIWPAのスタート時、誰が1000万円の収入のプランナーを想像できただろうか。しかし、現在では、実現しているフリーランスウエディングプランナーは、確実に存在する。月に2件、年に24件のウエディングを担当することができれば、軽く1000万円の収入は確保できる。30歳前後の若者が、ウエディングプランナーで1000万円以上の給料をもらえるのは、これまでのウエディングの業界ではありえない。
しかし、そうした、ウエディングプランナーになるには、普通の人以上のサービス精神と努力と根気が必要である。
そうしたフリーランスウエディングプランナーになるために、最低限行わなければならないことは・・・・・・。キーワード・・・・ブログ、web、ホームページ、貪欲な知識欲、サービス精神、はったり、プロとしての知識、判断力、コミュニケーションスキルなどなど、多種多様である。
Part2へ続く・・・
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