連載記事2;挙式・披露宴の本質とは

当たり前だが、婚礼といっても挙式と披露宴に分けられる。結婚式といえば、どちらかというと披露宴を想像することが多いのではないだろうか。それでは挙式と披露宴には、それぞれどのような意味があるのか再認識したい。

婚礼は、人生最大の通過儀礼である。通過儀礼は、人生の節目の行事であり、その行事を儀式として行うことで、通過儀礼そのものを認識させる。また、常に責任や覚悟が伴うもので、人間的に成長を促し、ルールや常識を学べる瞬間でもある。

人が誕生し、お宮参りや入園入学、成人式を経て社会的に認められる大人になる。成人式後は、法的にもその責任が大きく変わる。通常そのあとに結婚があり、最小単位の社会を形成する。銀婚式や金婚式と並行して還暦から古稀、喜寿、傘寿、米寿、卒寿、白寿といった長寿のお祝いを通じてさまざまな通過儀礼を経験する。

挙式は、新郎・新婦のお互いの覚悟と責任を確認しあい、参列者にも承認してもらう重要な儀式である。新郎は、経済的、精神的な面で、新婦に対する責任と覚悟を表明し、新婦もまた、新郎をサポートし家庭を守る責任と覚悟を表明する。これがまさに挙式という通過儀礼である。

一方、披露宴もまた通過儀礼と考えてよいが、披露宴にはどんな意味があるのだろうか。今までに会社社長の“後継ぎ”の披露宴に出席したことはあるだろうか。新郎側の列席者が妙に多く、特に新郎父の知人が主賓席もしくは準主賓席を占拠する。議員や俗にいう偉い人など、新郎父の知りうる限りの有用な知人を招待するのである。
これは、親の人脈を子に繋ぐ「人脈財産の継承」で、「将来に渡り息子を宜しく」ということである。特別に社長の後継ぎでなくても、披露宴最後の両家代表謝辞で新郎父の挨拶からもその趣旨はうかがい知れる。

披露宴に媒酌人が当たり前にいたころ、現状・将来共に有望な人に媒酌人をお願いするのが常識であった。媒酌人は「雇われ仲人」といわれるが、本来仲人とは、新郎新婦の出会いから結婚までのお世話をする人で、結婚後はふたりの後見人として一生見守る存在である。だから、盆暮れには品物を持参し、挨拶に伺うという習慣があるのである。つまり、新郎新婦は、媒酌人が現状・将来的に渡り有望であればあるほどその恩恵を被ることが出来るということである。

披露宴は、新郎新婦の人生のサポーターであることを約束していただく場であり、媒酌人は、暗黙の了解でふたりのサポートをすることを約束しているのである。そうであるならば、披露宴はどう考えても出席者は多いに越したことはないということになる。これが披露宴の本質であり、この理解があれば披露宴の人数は自ずと増えるはずで増収に直結する。

私は北海道の生まれ育ちで、北海道は、もともと開拓地であり、貧困で助け合いが必要であった。そのため人の繋がりも密で、披露宴は会費制で行われ、今でも13,000円程度なので負担も少ないため大勢の出席者で行われている。まさにサポーターを作る自然の知恵である。沖縄はさらに安い会費制で行われており、地元の披露宴は、出席者も北海道の2倍から3倍の人数で、ある意味披露宴の本来の主旨をよく理解しているともいえる。

このように挙式・披露宴には確固たる意味やそれを行わなければならない根拠があり、以前は社会全体がそれを理解していた。この認識を変えるひとつのきっかけとなった社会的要因があった。過去最高の高値を付けた1989年12月の株価が日銀短観の発表を受け一気にバブルが崩壊して行く。この後、戦後初めて大手金融機関や一部上場企業の相次ぐ倒産により、戦後の終身雇用が終焉を迎え、ブライダルもその影響を受け、大きく様相が変化していくのである。

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