連載記事2016年5-1 海外のウエディングに学ぶ

装置産業としての日本独自の婚礼,海外のウエディング文化に見習うべきこと 

日本の結婚式の現状

現在の日本の披露宴スタイルは、アメリカの影響を色濃く受けている。アメリカはもともとヨーロッパからの移民が建国した国であり、つまりは、日本のウエディングの原点はヨーロッパにあるといっても過言ではない。

世界の挙式を見てみると、世界中の多くの人たちは、自分の信仰する宗教を持ち、その教義に基づく宗教儀式としての結婚式を行う場合が多い。ところが、日本の場合は、八百万の神といって、神様はいたるところに存在するという考え方があり、一つの宗教を一生かけて信仰するという人は少ない。別の言い方をすれば、宗教に関して非常に寛容である。

その証として、人生の通過儀礼においても、誕生から1ヶ月位で、健やかに育つことを祈願し神社に「お宮参り」に行き、人生最大の通過儀礼である結婚式は「チャペル」で行い、最期を遂げた時は「寺」の住職によりしめやかに葬儀が営まれ、荼毘に付され天に召されるのが一般的だ。つまり、一生のうちに、神道、キリスト教、仏教と3つのジャンルの宗教によって通過儀礼がおこなわれており、このような国は、世界広しといえど日本にしか存在しない。しかしこれが日本の文化であり、このような日本の宗教に対する寛容さや島国による単一民族であることが、日本の平和の原点だったりするので、決して悪いことではない。

装置産業としてのウエディング

こうした現状の中、日本の婚礼は、装置産業という婚礼ビジネスとして確立されており、このような状態は、世界でも類を見ないビジネススタイルである。

日本の場合、婚礼を行っている会場に行くと、必ずウエディングプランナーがいるが、世界を見渡しても、会場に行ってウエディングプランナーが存在することは、ほぼ皆無であるが、イギリスの一部のホテルにコーディネーターは存在する。日本を含む世界の常識は、婚礼は個人のイベントであり、挙式は別として、披露宴は自宅で行うのが一般的な歴史である。なので、その部分をビジネスにしようというスタイルは、国土が狭い、人口密度が高いなど、日本の特性が導いた日本独自の産業がウエディングビジネスである。このような日本の結婚式の現状を知る世界の有識者の中には、日本の婚礼は「おかしい」と揶揄する人も少なくない。そのわけは、人生最大の通過儀礼としての結婚式は、新郎新婦を祝福するという本質があるにも関わらず、最終見積が初期見積の2倍になり、新婚早々ローンを抱えてしまうような現実など、結果的に新郎新婦を不幸にしてしまうような現実もあるからだ。

海外ウエディングに学ぶところは大きい

このような現実は、企業としてビジネスを行っている以上避けられない状況であることは理解の内である。では、海外のウエディングは、どのような実態なのだろうか?

現在、中東やヨーロッパはテロで緊張状態にあるが、私の知人の日本人でイスラエに住んでいる人がいるが、いつミサイルが飛んでくるか分からない恐怖が日常的であり、街中にサイレンがなると、数百メートルごとにある地下の防空壕(シェルター)に逃げ込むという日常が常識的だという。友人は、日本人には想像を絶する危機感があるというが、日本人は、こうした危機感を味わうことのない平和な国だ。

だからこそ、海外の人たちは幸せを自分たちで確保しようと必死だし、そうした日常的危機感が、人の幸せを心から願う気持ちになれることからも、人の幸せをビジネスにしようとは考えないのである。

例えば、親日国としても有名なトルコは現在テロに巻き込まれ大変な状況だが、トルコの結婚式は盛大である。若い二人が結婚するとなると、何百人もの人がかけつけ、2人の結婚を祝うという。その際、新郎新婦は、首にストールを掛け、列席者がそこにお札をピンで留めて、日本でいうご祝儀とするようだ。また、お金に余裕がある人は、10万円程度のブレスレットを新婦の腕にはめてくれる。物価は日本の半分くらいのようで、最低でも5000円程度は持ってくるので、何百人もくると、それだけで若い二人の新婚生活のスタートに十分な費用が集まるので、日本のようにお金がなくて結婚式ができない無婚のような現実は無いのである。こうした現状こそが、伝承していかなければならない婚礼文化だと思う。結婚によって、若い二人の結婚式を新たな人生のスタートとして盛大に催すことができるという素晴らしい文化だ。日本の場合は、これを利益追求だけの単なるビジネスにするからおかしなことになってしまうのだ。

 

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