連載記事54 披露宴は趣旨と意味があり何をしても良いわけではない

最近、全国平均費用が350万円といわれる婚礼が、ウェディングプランナーという専門職の知識量の不足と結婚式場を運営する企業の倫理観の低下により、結婚式という一つの文化をなし崩し的に崩壊へと導いているようにも思う。

 

媒酌人の存在が一般的だった時代、本来媒酌人は仲人といわれ、お見合いから、結納のお世話そして披露宴の媒酌を務め、披露宴後は一生新郎新婦の後見人として、また相談役として見守っていくものであった。

 

しかし、バブルの崩壊と共に終身雇用の崩壊が起こり、サラリーマンの世界も年功序列から下剋上の世界に変貌し、「昨日の上司は、今日の部下」ということが日常的になってくると、徐々に披露宴での媒酌人の姿は見られなくなっていった。2013年ゼクシィ調査では、媒酌人を立てた婚礼は、全国平均で0.7%であり、会場カテゴリーによっては、媒酌人の出席する婚礼が限りなくゼロに等しい。

 

しかし、媒酌人の存在意義とは、新郎新婦の人生の重要なサポーターであり、むしろ、現代のような人間関係の薄い社会だからこそ媒酌人の存在は大きいはずである。若い二人にとっての社会は厳しく、特に自営業者にとって、人間関係、あるいは人脈こそが生計を立てる為の手段と言っていいほど重要で、サラリーマンとて人脈は出世の鍵でもある。

 

ところが、このようなことを理解せず、「媒酌人ってことばは聞いたことあるけど、古臭いもので、現代の披露宴には必要ないし合わない存在」くらいに思っているプランナーが非常に増えているようだ。

 

そんな中で、先日ある婚礼に出席した際、珍しく媒酌人がいると聞いていたのに、高砂に席がない。どこにいるのかと思ったら、なんと新郎側の主賓席に媒酌人、新婦側の主賓席に媒酌令夫人が座っている。

 

のちほど事情を聴くと、担当のプランナーに、媒酌人がメインテーブルに座るという認識は全くなく、誰に聞くこともせず、会場に知識のある社員もいなかったのか、若い新郎新婦にプランナーが指示して、そのように席を作ったということらしい。事前の打合せ時の司会者も、当日の媒酌人夫妻も、相当戸惑っていたようだ。

 

私が現役の時、媒酌人席を、高砂の席と同時に主賓席にも用意し、媒酌人挨拶が終わった後主賓席に移動して頂いて、夫婦隣同士で食事をしてもらうことはあった。それは、媒酌人は、形式的には主催者側だが、両家、新郎新婦には最も重要な存在でり、新郎新婦中座は結構長く、その間、メインテーブルの媒酌人夫妻は、3.6mのテーブルの端と端で、話も出来ず寂しく食事をするのが気の毒だったからだ。

確かに、披露宴は、儀礼でもなければ儀式でもなく「宴(うたげ)」だから、こうしなければいけないというきまりはないが、披露宴には大切な趣旨と意味があるのであり、何をしてもいいというわけではない。

伝統と文化、そして良識という見地からすれば、守るべきこともあるはずである。

 

ホテルではあまりないだろうが、鏡開きがお開き直前に行われたり、デザートブッフェの後の再入場でケーキ入刀し、すぐに花束贈呈でお開きとなって生ケーキは食べる時間が無かったり、今や披露宴の進行も滅茶苦茶な時代である。それを指摘しても「これが私共では一般的です」の一点張りで、自分たちのマニュアルを優先することに固執して、お客様の為にということは、何一つ感じない。

 

こんな風でいいのだろうかと心から情けなく思ってしまうのは私だけなのだろうか。若く人生経験の浅い新郎新婦の言うなりになったり、わざわざ奇抜なことを提案したりすることだけが顧客満足を満たすことではない。何よりも誰よりも、お客様の本当の幸福を追求するのが私たちのプロとしての仕事の本質ではないのだろうか。

 

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